まいどはや。いろふぁです
GWはお天気イマイチ続きな富山でしたね。
みなさまいかがお過ごしでしょうか?
GWは気温が低い日もあって、あんまりアクティブに過ごせなかった🙃
その分遅ればせで、昨日はアクティブしてきました!
福光美術館の【アートって何なん? ーやまなみ工房からの返信ー】に
行ってきました~。
先月、お手伝いしておりましたドキュメンタリー映画に登場する作品たちの展示が開催されていたのです。
ざっくり説明すると、障がい者さんの作った作品の展示になります。
映画も改めて本当に感慨深いものでした。
(映画の感想はコチラ↓)
たどり着いた福光美術館は山の上のお庭の素敵な美術館でした。
そこそこ遠方でしたが、たどり着くまでのどかな道をドライブできて、良い感じでした。><
ちなみに私は普段美術館なんて滅多に行かない高尚でない庶民でございます。
何かしらの折りにものすごくまれに美術館行きますが、
基本的に絵でも立体物でも分かりやすいものが好きです。
例えば、茶色い球体の作品があったとしてタイトル「空」とかだと、
なんでや💥どこがや💥
と、突っ込みたくなるタイプです。
でも、意味わかんなくても、色彩が素敵とかこの絶妙なカーブがなんかよくわかんないけど美しい。
とかはありです。
良くわからないものには意味を求めたくなるので、
それが見えないとうーーーんってなります。
高尚な人にしかわからない置いてけぼり感が好きじゃないのかもしれません。
まあそんな前置きはともあれ、
「アートって何なん?」いざ出陣!
先に結論から言いますと、
映画観たからよりマニアックに楽しめた✨
です。
先に述べた通り、これにはドキュメンタリー映画が存在しており、
やまなみ工房という場所に暮らす人たちのことが語られたりするのですが、
知っててみるのと知らないでみるのは全然感じ方違うんだろうなあ。。
と思いました。
例えるならば、「その小松菜、私が作りました!」って生産者さんの顔が知り合いだったみたいな感じの愛着感です。
展示のお出迎えは作者の皆様の写真の展示からだったのですが、
これも、映画の終盤で、みんなの撮影会をするシーンがあり、
ガチな撮影会で衣装もきめっきめで撮られてたんですが、
すっごくカッコイイわけです。
表現が少々差別的かもしれませんが、
障がい者さんであることを忘れてしまうくらい、
どこかのモデルとか俳優さん?みたいな超カッコイイ雰囲気でした。
そこからはそこかしこの展示を見ていくのですが、
未だかつてこんなに真面目に説明文読んだことあっただろうか…
ってくらいまんべんなくじっくり読みながら楽しみました。
映画を見ていると、「あ!これあの人のこの作品だー!」みたいに有名人に遭遇したテンションモードになるわけです。
ちょっとしたミーハーですね。
でもその分やはり愛着や共感が高まるのです。
この作品が産まれた経緯。
やまなみ工房の皆さんは、最初から「よし、アート作品つくるぞ!」って始めていないし、そもそも今だってそのつもりがないのでしょう。
作ることへの喜び、こだわり、快感。
それが、たまたま世界にも認められるほどの作品として認知されただけ。
こういった作品のことを【アールブリュット】というそうです。
既存の美術や文化潮流とは無縁の文脈によって制作された芸術作品の意味で、 英語ではアウトサイダー・アートと称されている。加工されていない生(き)の芸術、伝統や流行、教育などに左右されず自身の内側から湧きあがる衝動のままに表現した芸術。…だそうです。
もっと簡単に言うと芸術教育を受けていない人が生み出すアートのことだそうです!
つまりは、少なからず学校で美術の授業を受けてしまった我々にはもはや生み出すことのできな稀有なアートということですね。
今回の展示を見て思うのは、子どもが自由に作った作品と通ずるものがあるということです。
例えば私たちが、「人物を描きなさい」としたとして、
キレイに描かなきゃ、かっこよく、もしくは可愛くデフォルメなど、
賢しい知識や技術を使うのです。
子どものころってそんなこと考えてなかったと思います。
遠慮や配慮なんて考えない。
そのものをじっくり見て、自分なりにひたすら似せようとする。
けれど、精巧に描く技術がないから、特に目に力を入れて描いたとか、髪の毛はたくさんあり過ぎてめんどくさいから適当とか、はたまた、そこに至る前に力尽きたとか、そんなことがあるのではないでしょうか?
だから、子どもの絵ってどこかアンバランスな感じとか、ちょっと不気味とさえも思ってしまうのかもしれません。
展示の紹介で個人的に印象に残ったのが、
「四角しか描けない人なんだと思っていた人は、1日かけて四角を描く人だったのだ」
みたいな文章です。(記憶曖昧なのでニュアンス違うかもです。写真撮ればよかった。。)
とある障がい者さんに紙を渡したら1日で四角を1つ描くだけだった。
それを何日も繰り返してたのだが、
ある日、施設の人がその紙を片付け忘れたら、その紙に続きを描いた…といったエピソードでした。
それを繰り返すことで作品が産まれたわけなのですが、
すごく興味深かったです。
子どもって飽きるの早いじゃないですか。
長く椅子に座れないからある程度したら帰る!とかどっか行こうとか。
絵も実はそうなのかもしれないですね。
ただ、飽きたとか力尽きたとか、はたまた、我々がお絵かきの時間はここまで!って定めたからそうなってるだけであって、実はその作品は描きかけなのかもしれない。
それを我々の都合で終わらせ、はい、壁に飾って完成!パパやママにプレゼントしましょ。ってだけで、実は続きがあるのかもしれないのです。
もちろん、子ども自身が飽きてもうやらない!ってパターンもあると思いますが。
これが、大人になると多少の忍耐と持久力がついてくるので、続きが描けるようになるけれど、
そのころには半端に美術を学んでしまっているから定められた枠や固定概念で雁字搦めになって越えられない壁が産まれるってわけなんですね!
小賢しさのない直球のアート作品だからこそ、
世界に受け入れられるのかもしれませんね。
非常に残念ながらこの作品展は明日で最後です!
お時間ある方は滑り込みで見に行ってみてはいかがでしょう~?
最後まで読んでくださってありがとうございました!